中植正剛 神戸親和女子大学准教授 教育工学を専門にする大学教員の日々の雑感


by toshishyun

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僕は神戸で育った。だから阪神大震災を昨日のことのように思い出せる。神戸の震災とは全く違うタイプの今回の未曾有の大震災を見ていると、当時を思い出していろいろと考えることがある。

今回の震災から遠く離れた関西地方に住む人々の多くは、一体自分に何ができるのかを自問自答していることだと思うし、ツイッターでも、関西人による「何もできない自分が歯がゆい」というようなツイートを見かける。しかし、遠く離れているからこそできる支援というのもある。

それは、いまから数カ月、数年をかけて立ち直ってゆかねばならない震災の被災者を、いつまでも気にかけ、励ましの祈りを続けてゆくということである。

震源地の揺れに始まる震災は、一次災害、二次災害、三次災害・・・とさまざまな余波を世の中にもたらす。それは十次災害、二十次災害と、だんだんと形と大きさを変えながら、それこそ津波の波が広がってゆくように、被災地の人々の生活や人生の隅々にまで入り込んでゆく。

同時に、復興への歩みが始まってゆく。復興で注目されるのは、建物の復旧やライフラインの復旧など、一次災害、二次災害のような直接的な災害である。それは大事なことであるし、もちろん、注目に値することでもある。

しかし、現地の被災者にとっての本当の復興への戦いは、そのような直接的な被害から派生する様々な問題、例えば、心のケアや、対立した家族の絆の復旧、寸断された生活の立て直し、すっかり変わってしまった生活への対応など、どちらかといえば個人の自己責任とされる領域における闘いである。最終的には、天災という突然襲ってきた出来事に対して、被災者は個人的に向き合わなければならないのである。

メディアや世間の関心が社会的な復興に注目されている中で、そのような個人的な闘いは孤独な闘いでもある。そして、こういう状況におかれている被災者にとって辛いのは、被災地域以外の人々、つまり今回の地震では、関西にいる私たちのように「遠い人々」の関心が徐々に薄れてゆくことである。

神戸の震災を振り返ると、あの震災は都市直下型であったから、隣の大阪や京都はすぐに普通の生活に戻った。わずか数十キロを隔ててこちらは地獄、あちらは普通の生活という状況に不思議な思いを抱いたことを思い出す。テレビや新聞は数か月もしないうちに震災のことを報道しなくなった。そして、僕は京都の大学に通っていたので、震災とはもはや関係のない普通の生活を送る大阪や京都出身の友人達のはざまで、家を失った自分の家族がなんとなく世の中から置き去りにされてゆくような感覚を味わった。

復興は一次災害、二次災害からの復興だけではない。十次災害、二十次災害という、見えにくい災害から、個人個人が復興していかなければならない。日本人は謙虚だから、個人的な復旧の闘いを「大変だ。」「辛い。」「気にかけてほしい。」とはなかなか言えない。だからこそ、私たちが「見守っている」というメッセージを積極的に発し続けることが大切なのだと思う。

本来ならばすぐに関心が風化してしまうような遠い存在である関西の私たちが、東北・北関東の被災地の人達のために祈りを継続することが、かの地の人々の心を支え続ける。近い存在の人が祈ってくれることはありがたいが、同時に、東北や北関東から離れた遠い存在であるからこそ、関西の我々が祈り続けることに重さがあるのではないだろうか。
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by toshishyun | 2011-03-13 13:10 | その他