中植正剛 神戸親和女子大学准教授 教育工学を専門にする大学教員の日々の雑感


by toshishyun

カテゴリ:ラーニングとテクノロジー( 49 )

ミルズ データ分析

データ分析の打ち合わせのため、湾を越えてミルズ大学までいってきました。

ミルズ大学の方が、データ分析の信頼性を上げるための作業であるクロスコーディングを手伝ってくれます。とくに何の報酬をご用意できるわけでもなく、先方にとっては(おそらく)何のメリットもなく、単に善意でやっていただいてまして、本当にありがたい限りです。

スタンフォードの方々もそうですが、みな親切にしてくれます。

まぁその分一生懸命仕事すすめないと、と思いますが、時間は限られているので、できるとこまで分析をすすめて、論文までこぎつけたいところ・・・。

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by toshishyun | 2009-04-04 08:22 | ラーニングとテクノロジー

授業研究インタビュー

アメリカの授業研究について、引き続き調査中です。先日はインタビューをしました。先方は、ベイエリアの授業研究に10年前から関わっておられたとても親切な方で、ていねいにお話をしてくださいました。

サンフランシスコベイエリアの授業研究も9年目を迎えました。新しい取り組みが3年で飽きられるアメリカにあっては、比較的長く続いている取り組みだと言えます。いま、ベイエリアの授業研究は、学校の質を保つための手段としての新たな役割を持ちつつあります。

アメリカの学校の大きな問題は、管理職の転職です。サンタクララ郡には20の学区があるのですが、そのうち最も安定している9つの学区でも、この3年ですべての管理職がいなくなってしまいました。アメリカでは、管理職の交代=何もかも一からやり直しという意味を持つわけですから、大変なことです。

そんな中において、授業研究というのは、「みんな」で取り組むところに意義があるわけです。優秀な先生がいなくなったり、管理職が変わったとしても、共有された知としての授業方法、生徒の理解に始まって、学校としての課題の共有が継続する限り、学校の質は保たれてゆくわけで、そういう役割が期待されているのです。

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2009年も始まったばかりだと思っていたら、3月ももう終わりですね。新しい年度が始まります。年度が終わるのは寂しいことですが、また新たな目標を見つけて頑張っていきたいものです。人の倍頑張っても人の半分のことしかできませんが、来年度も少しずつ研究をすすめていこうと思います。
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by toshishyun | 2009-03-31 13:36 | ラーニングとテクノロジー
同僚の調査のお手伝いを兼ねて、高等学校の環境教育の授業にお邪魔してきました。今回の調査は、水質調査の機器と、録音装置内蔵型ペンの実地テストでした。授業の中で、これらの機器が実際にどのように使われるかを調査して、学習システムやカリキュラムの開発につなげていきます。今回お邪魔したこの高校には、校庭に小川と池があり、それぞれのPh、Co2含有量、導電率、温度を測定して比較しました。測定をはじめてみると、絶えず変動する測定表示をいつの時点で読み取ればいいのか、小川の水を汲むときには、一体どのあたりの水を汲めばいいのかなど、実際にやってみないと出てこない疑問が生徒からいろいろと出てきました。また、生徒の口から出てくる言葉も、それまでの学習の理解度によってまちまちです。教育現場というのは、そこに居る人や、その固有の環境に左右される要素がとても多いことを改めて実感しました。

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今日の授業で気に留まったのは「Environmental Injustice」(環境的な不正義)という言葉です。例えば、貧しい地域に程度の悪い水しか供給されない、とか、貧しい地域の川はごみ処理の問題などから他の地域より汚染されている、というようなことを指します。今日の高校は裕福ではない家庭の子どもたちが多いので、こういう切り口で授業がされています。

ちなみに、今日使った「録音装置内蔵型ペン」はとても面白い製品です。Livescribe Smartpenといいます。ノートに文字を書きながら、同時に録音をします。あとでノートの該当個所をペンでタップすると、それを書いたときの録音が再生されます。もちろん、書いたことや録音したことは、パソコンにアップロードして整理できます。

http://www.livescribe.com/

日本では25000円くらいするようですが、こちらでは150ドルくらいで購入できます。Amazon.comの国際配送だと、日本で買うよりも安く買えます。
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by toshishyun | 2009-03-20 10:28 | ラーニングとテクノロジー
いま、アメリカの小学校で行われた算数の授業研究の観察を整理しています。思い返すと、アメリカの算数授業の特徴がおおまかにつかめます。

まずは、ワークシートを多用すること。ワークシートには、その授業で行うすべての問題が掲載されています。また、場合によっては問題の解決に必要な表とともに、指示が書いてあったりします。それから、個人作業に充てる時間が長いです。個人やグループで、ワークシートを最後までやりきってから、みんなで発表しあう。つまり、途中経過をみんなで確認しないんですね。とにかく、まずは最後まで自分のグループでやりなさいというスタイルです。それから、早くできた子には、追加の発展問題を用意しています。そういう発展問題のなかには、本当にひまつぶしのためだけで、あまり中身のない問題もあるそうです。そういうのはスポンジ問題といわれます。時間を吸い取るスポンジの役割をするんですね。

結局、集団での授業という形態はとっていても、やっぱり個人主義の色合いが強いんですね。

こういう形の学習は、表面的には個別の能力にあったやり方ととれますし、アメリカの先生もそのように捉えています。しかし、こういうやり方はいろいろと問題を抱えています。
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by toshishyun | 2009-03-14 15:20 | ラーニングとテクノロジー
小学校は読み書きそろばんだ!計算力ができれば学力があがるんだ!って、それほんと?

ちなみに、この記事は、いま、アメリカの授業研究のデータ分析を始めていて、それがたまたま引算の授業だったので、ついでに書いてます。

さて、計算力至上主義者は、

60-20 = ?

これができれば、その子は、何も教えなくても自動的に次の問題が全部解けるようになるというわけですね。

1) あるバスに60人のっていました。20人おりました。さて何人になったでしょう。

2) あるバスに60人のっていました。何人かがおりたので、20人になりました。さて何人おりたでしょう。

3) あるバスに20人のっていました。何人かがのってきたので、あわせて60人になりました。さて、何人のってきたでしょう。

4) あるバスに何人かのっていました。20人のってきたので、あわせて60人になりました。さて、何人のっていたでしょう。

5) あるバスに20人のっていました。バスにのっている人数をあわせて60人にするには、あと何人のるとよいでしょう。

6) A君はみかんを20個、B君はみかんをいくつか持っています。二人あわせると60個になります。B君はいくつみかんをもってるでしょう。

7) A君はみかんを20個、B君はみかんを60個もっています。B君はA君よりもいくつ多くみかんをもっているでしょう

とくに、4つ目。足し算してしまう子がいます。6つ目もかな。「あわせて」って言われるとすぐ足し算したくなるんですね。

ええ、計算力はもちろん必要です。それは間違いない。計算の反復練習も大いにやらなければいけない。それは僕も大いに同意です。

だからといって、それで十分ではない。これ、当たり前だと思うんです。でも、意外と当たり前じゃなかったりします。

「 足し算、引き算なんて、単なる数字の操作。文章題ができないのは子どもの文章力の問題。本を読ませればいい」なんて乱暴なこと言う人もいるくらいですから。

計算を鍛える→基礎的な学力アップ、というような雰囲気は、「○○計算の取り組みで学力アップ」みたいな見出しの新聞記事のせいでしょうか。ちなみに、○○計算の提唱者も、それだけで学力があがるなんて言ってません。

というわけで、こんなん当たり前だから投稿しないでもいいかとも思ったんですが、やっぱり投稿することにしました。こういう声は一人でも多い方がいいですからね。

それにしても、引き算をどう教えるかって、結構難しい問題ですね。

こどもたちに身近な例をあげればいい、っていう人もいます。それも必要なことでしょうが、それだけでは十分ではないと思います。例えば、上の文章題を、バスと乗客の問題ではなくて、子どもの好きなゲームソフトや野球やサッカーなんかに置き換えて作り直しても、問題を構成する概念的な構造をきちんと押さえて、そこにスポットライトを当てて教えない限り、何を例にあげても、わからないものはやっぱりわからないです。

あ、ちなみに、「こういうパターンの文章のときには、まずはここに書いてある数字を引く数に持ってきて、つぎにここに書いてある数字を引かれる数にもってきて、であとは計算したらいいんだよ」・・・なんて、文章のパターンに沿って数式に数を自動的に当てはめていく手順を丸暗記させて、反復練習でそれを定着させるようなやり方もダメです。これは、アメリカでよく見られるやり方で、失敗してるやり方です。これ、なぜダメなんでしょうか?一緒に考えてみてください。
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by toshishyun | 2009-03-12 14:37 | ラーニングとテクノロジー
3月3日~6日の期間、ミルズ大学附属小学校で行われた授業研究会(レッスンスタディ)に行ってきました。

日本では当たり前の授業研究ですが、アメリカでは10年前に始まったばかりの取り組みです。

今回は、De Paul大学の高橋昭彦先生が、分数の授業をされました。4日間通して行うような授業研究会は、日本でもあまり見られないものなので、貴重な経験になりました。コーディネーターは、授業研究をアメリカに紹介されたパイオニアの一人、ミルズ大学のCatherine Lewis先生、ファシリテーターは、同じく授業研究をアメリカに紹介された、吉田誠先生です。

今回の目玉は、分数を学ぶのに、テープや棒を使うこと。たとえば、1mのテープを用意します。そして、その3分の1、4分の1、5分の1の長さの段ボールの棒を用意します。それぞれの棒の長さは言わないで、それぞれ何mなのかを生徒に考えさせます。(答は1/3m, 1/4m, 1/5m)。これは、日本の教科書に基づいた、日本流の教え方です。

日本人にとっては、当たり前かもしれませんが、アメリカには線分図というものがないので、通常はピザのような円を用いて分数を学びます。分数=円グラフというのは、アメリカで固定した考え方です。したがって、このように直線を使って分数を学ぶのは、斬新なやり方です。

それから、このやり方の特徴は、分数を「部分と全体」、つまり、1/3や1/5のように、1に対する相対的な量として捉えるのではなく、1/3m, 1/5mのように、「単位」、つまり絶対的な量として分数を捉えるところにあります。

アメリカ人は、「部分と全体」「単位」、この両方の考え方を一度にないまぜにして教えます。しかし、日本人は「部分と全体」を学ぶまえに、まず、「単位」としての分数を学びます。

直線で分数を学ぶこと、そして、単位としての分数を学ぶこと、これらによって、数直線上で分数がどのように表わされるかという理解が深まります。例えば、0mから始まる数直線があるとします。その数直線上に1m, 2m, 3mと目盛が打ってあるときに、2/5mがどこにあるか、7/3mがどこにあるか、そういうことが理解できるようになります。これはゆくゆくは、分数の掛け算・割り算に繋がっていきます。

アメリカ人の場合だと、円を使って学ぶので、分数と数直線との関連づけが難しいのです。そして、1に対する相対的な大きさとしての分数しか習わないので、そこにmやリットルなどの単位を導入して、分数を絶対的な量として考えたときに混乱するわけです。分数の掛け算や割り算でも、例えば「2/3mの1/5は?」と言われても、ピンとこないわけです。

とまぁ、こういう内容の授業が行われたわけです。

4日間で、ここで書ききれないほど多くのことを学びました。何を学んだのかは、次の投稿で書いていきたいと思います。

高橋先生の素晴らしい授業からは、授業の方法に関することを学びました。授業後の検討会や高橋先生、吉田先生、Catherine Lewis先生との雑談からは、授業研究のやり方や検討会で話し合われる内容に関すること、アメリカと日本の算数カリキュラムに関することを学びました。また、サンフランシスコベイエリアの先生とも新たに知り合う機会にもなりました。

一夜明けた今日は、吉田先生とお昼ご飯を一緒に食べてきました。アメリカの教員向けの自学自習教材を作っていこうという話を持ちかけてくださり、モチベーションが一気にあがりました。4月か5月には、吉田先生のおられるニューヨークに行って、東海岸の小学校周りをしたいと思います。実現すれば、12年ぶりのニューヨーク、楽しみです。
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by toshishyun | 2009-03-08 18:33 | ラーニングとテクノロジー

AJAXはじめました

現在、携帯電話向けのソフトウェア開発をしていますが、プラットフォームの選定に苦労していることは以前に書きました。Java? Object C? Flash Lite?と、いろいろ迷いました。

結局、ハードウェアはiPhone, 環境はxhtml/JavaScript+PHP+DBの組み合わせでいくことになりそうです。iPhoneのカメラやGPSには、BigFiveというプロキシーを使えばJavaScriptからアクセスできます。(たぶん)。

この開発環境だと、移植性も高いので、いまのところはこれがベストの選択でしょう。

携帯という性質上、できるだけページの読み込み回数を少なくしたいので、すべての表示画面を1つのxhtmlファイル内に書いておいて、JavaScriptで画面を切り替えるという方法を取ることにしました。たとえば、1ページ目は<div id="page1"></div>タグの中に書いておき、2ページ目は<div id="page2"></div>の中に書いておき、随時JavaScriptでどれを表示するか制御します。

また、AJAXでサーバーと通信することで、xhtmlファイルが1つで済むようにしました。

AJAXはこれまであまり必要が無かったので書いたことが無かったですが、意外と簡単で、すぐに出来てしまい、拍子抜けです。もっと面倒かと思ってた・・・。Firefox、IE6以上, IE5以下、どれにでも対応するようにするのも、すぐに出来ました。

Flash + Action Scriptよりも、こっちのほうがいいな。タダだし・・・。
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by toshishyun | 2009-03-08 17:54 | ラーニングとテクノロジー
ボクも大学生だった - 森 毅 | ナジックリリース | 株式会社学生情報センター

森 毅さん、大やけどをなされたそう。僕が高校生くらいのときに、よくテレビに出たりされていて、本もよく読みました。はやく良くなって欲しいなぁ。研究者としての業績に疑問の声もあるようですが、こういうほんにゃらした人、好きです(笑)。自分がそうなれないからかな。僕の世代なら、受験のときにこの人の本読んで、ホッとした人もいるのではないでしょうか。

学力低下についてはこうおっしゃってます。

「今、学力低下っていわれてるんだけど、ボク、これが気に入らない。ボクらの時もいわれたし、1969年の学生さんの戦争ごっこの時にもいわれました。客観的に強くいわれる時期というのが周期的にあるんです。

東大理で半分以上の学生が授業についていけないという話があったでしょう。あれ絶対に嘘、そんなについていけるわけないやん。京大の経験からいっても、理解してる学生はもっと少ない。それに東大は京大より不親切やから、ほとんどの学生、理解できてないはず。

誤解してほしくないんですが、学問ってそんなもんやと思うんです。なんやわからんけど、読み進めるとか、わからんからじっくり考えるとか。今は、テキストとかレジメありきで、そこから逸脱すると文句が出る。ボクの時なんて、寮の先輩が「これええで」と薦めてくれた本が、ヘーゲルの『精神現象学』ですよ。

16歳でわかるわけない。でも読むんです。」

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「あれ絶対に嘘、そんなについていけるわけないやん。」で笑ってしまいました。東大生でも大半がわかってないわけで・・。

これを、古き良き時代の教養主義と見るか、学びの本質をついている意見と見るか。

高校・大学が大衆化したいまでは、こういう考え方で授業をやるというのはもう時代にそぐわないことかもしれません。しかし一方で、「何やらわからないものにみんなで向き合って、手探りで学びをすすめる」ということも大事なことで、いまの学生は、ちょっとわからないとすぐに「わからん~!」と文句を言いだしますし、わからないのは先生の教え方が悪いからだということになってしまいます。ただ、学生を擁護する立場で言うと、先生の教え方が悪い、というのは学生の考え方でもありますが、それ以上に周りの大人の考え方の影響によるものも大きいと思います。

大学教員として、わかりやすい授業をするために粉骨砕身するのは当然のことですし、そのために資料を工夫したり、学生中心の学びをするためのしかけを用意したりするわけで、それはもちろんやらなければいけない。もちろんそのために、真摯に授業改善のための勉強をしなければいけない。それが教員の務めですから。

ただ、一方で、大学というところは、学生にとっては、学校社会と実社会との接点に位置する場であるわけで、そこで手取り足とり「わかりやすい」授業をして、過保護に教育することが、果たして本当に学生のためになるのか、僕は煩悶することが多いです。なぜなら、世の中にはわからんことのほうが多く、わからんなりにも中途半端に進めていかないといけないことが多いわけですから、そういう実社会に近い形の学びの経験は、大学生のうちにしといたほうがいいと思うからです。というのは、言われたことを完璧に理解しようとするくそまじめな奴や、別に誰のせいでもないのに、自分がわからないのは誰かのせいだと思ってる奴ほど、就職してから、自分の内面と職場の現実との折り合いがつかず、挫折して辞めてしまうからです。そして、社会に出てからのこういう挫折は、とてつもなく痛みをともなって苦しい。ましてや日本の社会は、いったん挫折した人間が這い上がるのはとっても難しい。

このあたりの考え方、難解な授業をしている大学教員のいいわけととるか、それとも学生の将来を本気に思いやっての考えととるか、僕にはまだよくわかりません。両方がないまぜになったような気分ですが、少なくとも僕は学生の将来を案じてはおります。

わからないけど、それでもやっていくのです。Life goes on.
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by toshishyun | 2009-02-28 06:44 | ラーニングとテクノロジー
カリフォルニア州立大学のJulie Gainsburgの講演を聞いてきました。題目は、建築エンジニアリングの現場で使われる「大人の」数学について。

エンジニアの現場で使われる数学というのは、そのあり方からして学校の数学とは異なります。学校の数学では、「必ず解が導き出せる綺麗な問題」が与えられますが、エンジニアリングなどの実社会で使われる数学は、混沌とした現状から問題を見つけ出し、問題を定義するところから始まり、試行錯誤を経て解法を導いてゆきます。しかも、問題の定義から問題解決までのプロセスは、学校のように公式を当てはめて解くというような直線的なものではありません。なんどもなんどもモデルを作っては確かめ、問題の定義そのものに立ち戻って問題を作り替えたりして、ときには解法を比較しながら、往きつ戻りつして解決にたどりつくきます。そして、学校の数学のように、与えられた解き方を当てはめるだけではなく、現場の数学では、解き方を柔軟に変えたり、自分たちで解き方を編み出したりしながら問題を解決します。場合によっては、問題を解かずに、問題そのものを回避してしまうという選択肢すらあります。

このようなことを、建築エンジニアの仕事を例にあげながら、面白く話してくださいました。Laveの実践共同体研究の流れをくむ研究ですね。

これまで、一般人が日常生活でどのように算数・数学を使うかという研究はありました。例えば、ショッピングでどのように我々は算数・数学を使っているかなど。ただ、残念なことに、われわれ一般人が普通の日常生活で使う算数・数学というのは、学校で習う数学で言うと、だいたい小学校程度の知識で事足りてしまうわけです。また、普通の仕事(セールスや事務職)で使われる数学も、大抵は(アメリカの)中学3年生レベル以下の知識で事足りてしまいます。それに対して、エンジニアという専門職を取り上げ、より高いレベルの数学がどのように実社会で使われているかを調査したのが、Gainsburgの特徴ですね。

以上のように、実践の場で使われる数学と学校の数学にはギャップがあります。このギャップから学校の数学を考えようというのが、この研究の目的ですが、じゃあ、学校の数学も現場の数学のように、複雑な問題を与えて、生徒たちが自分で試行錯誤しながら解決できるようにしたらいいじゃないか、となりがちです。しかし、それは少し飛躍しすぎです。

まず、エンジニアの職場は数学を「使う」場であり、学校は数学を「学ぶ」場であるというように、それぞれの場の持つ目的が違うというのが一点。エンジニアは既に数学を良くわかった上で仕事をしているわけです。物事には順序があります。まずは習わないことには、使えません。数学に関する豊富な知識もなく、いきなり問題の定義から始めよと言っても、それはムチャというものです。

それから、現場の数学は「オープンエンド」であるという問題があります。人によって、出てくる解答が違います。例えば、建築エンジニアの耐震設計などでは、耐震のためのしかけをどうデザインするかによって、用いられるモデルも公式も計算も変わってきます。極端な言い方をすれば、10チームあれば、10通りの解答があります。そして、どの解答が良かったのかは、実際に建てて様子を見てみないとわからない部分もあります。こういうのは、学校教育とはなかなか相容れない部分があります。学校では、みんなが同じ内容をきちんと学ばなければならないということと、学んだことの成果を、他人にわかるように評価しなければならないからです。

それから、時間の制約があります。エンジニアは、例えば、コンピュータがはじき出した数値が本当に正しいのか、本当に合理的なのかを、検算(確かめ)します。耐震は人命にかかわることなので、2,3人のエンジニアが寄って、3時間くらい検算をすることもあります。時には、コンピュータのプログラムを調べ、アルゴリズムを吟味して、検算結果と比較します。検算結果がコンピュータの数値と違うときには、検算結果を採用することもあります。このように検算にこれほどの時間をかけれるのは、プロのエンジニアだからできることで、残念ながら学校では、たった1つの検算するためだけに、そんなに時間をとることはできません。コンピュータのアルゴリズムのような、数学以外のことに関わっている時間は無駄です。生徒たちはもっと幅広く色んな数学を学ばなければならないのです。数学を学ぶという効率の点から言うと、職場の数学は効率が悪すぎるのです。

このように、現場の数学のやり方をいきなり学校に持ち込むことはできませんけれども、学校の数学が公式を覚えて解くだけになっているのも現状ですから、現場の数学の「垢」を落とした数学学習のモデルを作って、どこまで現場の数学とのギャップを埋めていけるのかが今後の学校数学の課題になりそうです。
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by toshishyun | 2009-02-27 16:05 | ラーニングとテクノロジー

高等教育

最近投稿が長くなってきたなぁ。反省。

高等教育について2つ

1つ目は、本日、京都から、スタンフォード大学のFD(ファカルティデベロップメント)を見に来られた方々と対談。いろいろ話をすすめていくなかで、やはりスタッフの充実がFDには欠かせないと感じました。教員向けのワークショップを開催したり、教員がポートフォリオを使って評価をする支援をしたりその分析をしたりするのに、スタンフォードはスタッフが充実しています。日本でスタッフというと事務職員ということになりますが、そういう立場ではなくて、教学を支援するための専門知識を持ったスタッフが揃っているんです。いわゆる「事務職員」を超えるスタッフがいないと、FDをやりましたよというアリバイづくり程度の取り組みからなかなか脱却できないと感じます。

2つ目は、スタンフォード大学の教員採用について。教員の選考は、候補者を大学に呼んで、研究についての講演をしてもらいます。講演は基本的に誰でも聞きに行けるし、その場には学内の先生方も聞きに来られるから、僕らにとっても、いろんな研究動向を知ったりするのに都合がいいイベントです。候補者は、一日中大学に居て、講演以外にも、いくつかの選考プロセスに参加するようです。そして、教員採用の委員会には博士課程の学生も入っていて、この学生が、いろんな学生の意見を集約して、委員会に伝えます。こういうのは民主的で良いですね。ただ、こういうのは形式だけかもしれないし、どこまで学生の意見が反映されるのかはわかりません。しかし、少なくとも、人脈やコネだけで採用されて、あとで、「あんな人、だれが連れてきたんだ?」となってしまうケースがよくある、日本の大学のやり方よりは優れていると思います。
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by toshishyun | 2009-02-20 15:10 | ラーニングとテクノロジー