読み書きそろばん、でいいのか?
2009年 03月 12日
ちなみに、この記事は、いま、アメリカの授業研究のデータ分析を始めていて、それがたまたま引算の授業だったので、ついでに書いてます。
さて、計算力至上主義者は、
60-20 = ?
これができれば、その子は、何も教えなくても自動的に次の問題が全部解けるようになるというわけですね。
1) あるバスに60人のっていました。20人おりました。さて何人になったでしょう。
2) あるバスに60人のっていました。何人かがおりたので、20人になりました。さて何人おりたでしょう。
3) あるバスに20人のっていました。何人かがのってきたので、あわせて60人になりました。さて、何人のってきたでしょう。
4) あるバスに何人かのっていました。20人のってきたので、あわせて60人になりました。さて、何人のっていたでしょう。
5) あるバスに20人のっていました。バスにのっている人数をあわせて60人にするには、あと何人のるとよいでしょう。
6) A君はみかんを20個、B君はみかんをいくつか持っています。二人あわせると60個になります。B君はいくつみかんをもってるでしょう。
7) A君はみかんを20個、B君はみかんを60個もっています。B君はA君よりもいくつ多くみかんをもっているでしょう
とくに、4つ目。足し算してしまう子がいます。6つ目もかな。「あわせて」って言われるとすぐ足し算したくなるんですね。
ええ、計算力はもちろん必要です。それは間違いない。計算の反復練習も大いにやらなければいけない。それは僕も大いに同意です。
だからといって、それで十分ではない。これ、当たり前だと思うんです。でも、意外と当たり前じゃなかったりします。
「 足し算、引き算なんて、単なる数字の操作。文章題ができないのは子どもの文章力の問題。本を読ませればいい」なんて乱暴なこと言う人もいるくらいですから。
計算を鍛える→基礎的な学力アップ、というような雰囲気は、「○○計算の取り組みで学力アップ」みたいな見出しの新聞記事のせいでしょうか。ちなみに、○○計算の提唱者も、それだけで学力があがるなんて言ってません。
というわけで、こんなん当たり前だから投稿しないでもいいかとも思ったんですが、やっぱり投稿することにしました。こういう声は一人でも多い方がいいですからね。
それにしても、引き算をどう教えるかって、結構難しい問題ですね。
こどもたちに身近な例をあげればいい、っていう人もいます。それも必要なことでしょうが、それだけでは十分ではないと思います。例えば、上の文章題を、バスと乗客の問題ではなくて、子どもの好きなゲームソフトや野球やサッカーなんかに置き換えて作り直しても、問題を構成する概念的な構造をきちんと押さえて、そこにスポットライトを当てて教えない限り、何を例にあげても、わからないものはやっぱりわからないです。
あ、ちなみに、「こういうパターンの文章のときには、まずはここに書いてある数字を引く数に持ってきて、つぎにここに書いてある数字を引かれる数にもってきて、であとは計算したらいいんだよ」・・・なんて、文章のパターンに沿って数式に数を自動的に当てはめていく手順を丸暗記させて、反復練習でそれを定着させるようなやり方もダメです。これは、アメリカでよく見られるやり方で、失敗してるやり方です。これ、なぜダメなんでしょうか?一緒に考えてみてください。