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中植正剛 神戸親和女子大学准教授 教育工学を専門にする大学教員の日々の雑感


by toshishyun

森 毅さん 学力 大学教育

ボクも大学生だった - 森 毅 | ナジックリリース | 株式会社学生情報センター

森 毅さん、大やけどをなされたそう。僕が高校生くらいのときに、よくテレビに出たりされていて、本もよく読みました。はやく良くなって欲しいなぁ。研究者としての業績に疑問の声もあるようですが、こういうほんにゃらした人、好きです(笑)。自分がそうなれないからかな。僕の世代なら、受験のときにこの人の本読んで、ホッとした人もいるのではないでしょうか。

学力低下についてはこうおっしゃってます。

「今、学力低下っていわれてるんだけど、ボク、これが気に入らない。ボクらの時もいわれたし、1969年の学生さんの戦争ごっこの時にもいわれました。客観的に強くいわれる時期というのが周期的にあるんです。

東大理で半分以上の学生が授業についていけないという話があったでしょう。あれ絶対に嘘、そんなについていけるわけないやん。京大の経験からいっても、理解してる学生はもっと少ない。それに東大は京大より不親切やから、ほとんどの学生、理解できてないはず。

誤解してほしくないんですが、学問ってそんなもんやと思うんです。なんやわからんけど、読み進めるとか、わからんからじっくり考えるとか。今は、テキストとかレジメありきで、そこから逸脱すると文句が出る。ボクの時なんて、寮の先輩が「これええで」と薦めてくれた本が、ヘーゲルの『精神現象学』ですよ。

16歳でわかるわけない。でも読むんです。」

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「あれ絶対に嘘、そんなについていけるわけないやん。」で笑ってしまいました。東大生でも大半がわかってないわけで・・。

これを、古き良き時代の教養主義と見るか、学びの本質をついている意見と見るか。

高校・大学が大衆化したいまでは、こういう考え方で授業をやるというのはもう時代にそぐわないことかもしれません。しかし一方で、「何やらわからないものにみんなで向き合って、手探りで学びをすすめる」ということも大事なことで、いまの学生は、ちょっとわからないとすぐに「わからん~!」と文句を言いだしますし、わからないのは先生の教え方が悪いからだということになってしまいます。ただ、学生を擁護する立場で言うと、先生の教え方が悪い、というのは学生の考え方でもありますが、それ以上に周りの大人の考え方の影響によるものも大きいと思います。

大学教員として、わかりやすい授業をするために粉骨砕身するのは当然のことですし、そのために資料を工夫したり、学生中心の学びをするためのしかけを用意したりするわけで、それはもちろんやらなければいけない。もちろんそのために、真摯に授業改善のための勉強をしなければいけない。それが教員の務めですから。

ただ、一方で、大学というところは、学生にとっては、学校社会と実社会との接点に位置する場であるわけで、そこで手取り足とり「わかりやすい」授業をして、過保護に教育することが、果たして本当に学生のためになるのか、僕は煩悶することが多いです。なぜなら、世の中にはわからんことのほうが多く、わからんなりにも中途半端に進めていかないといけないことが多いわけですから、そういう実社会に近い形の学びの経験は、大学生のうちにしといたほうがいいと思うからです。というのは、言われたことを完璧に理解しようとするくそまじめな奴や、別に誰のせいでもないのに、自分がわからないのは誰かのせいだと思ってる奴ほど、就職してから、自分の内面と職場の現実との折り合いがつかず、挫折して辞めてしまうからです。そして、社会に出てからのこういう挫折は、とてつもなく痛みをともなって苦しい。ましてや日本の社会は、いったん挫折した人間が這い上がるのはとっても難しい。

このあたりの考え方、難解な授業をしている大学教員のいいわけととるか、それとも学生の将来を本気に思いやっての考えととるか、僕にはまだよくわかりません。両方がないまぜになったような気分ですが、少なくとも僕は学生の将来を案じてはおります。

わからないけど、それでもやっていくのです。Life goes on.
by toshishyun | 2009-02-28 06:44 | ラーニングとテクノロジー