Julie Gainsburg講演 大人の数学
2009年 02月 27日
エンジニアの現場で使われる数学というのは、そのあり方からして学校の数学とは異なります。学校の数学では、「必ず解が導き出せる綺麗な問題」が与えられますが、エンジニアリングなどの実社会で使われる数学は、混沌とした現状から問題を見つけ出し、問題を定義するところから始まり、試行錯誤を経て解法を導いてゆきます。しかも、問題の定義から問題解決までのプロセスは、学校のように公式を当てはめて解くというような直線的なものではありません。なんどもなんどもモデルを作っては確かめ、問題の定義そのものに立ち戻って問題を作り替えたりして、ときには解法を比較しながら、往きつ戻りつして解決にたどりつくきます。そして、学校の数学のように、与えられた解き方を当てはめるだけではなく、現場の数学では、解き方を柔軟に変えたり、自分たちで解き方を編み出したりしながら問題を解決します。場合によっては、問題を解かずに、問題そのものを回避してしまうという選択肢すらあります。
このようなことを、建築エンジニアの仕事を例にあげながら、面白く話してくださいました。Laveの実践共同体研究の流れをくむ研究ですね。
これまで、一般人が日常生活でどのように算数・数学を使うかという研究はありました。例えば、ショッピングでどのように我々は算数・数学を使っているかなど。ただ、残念なことに、われわれ一般人が普通の日常生活で使う算数・数学というのは、学校で習う数学で言うと、だいたい小学校程度の知識で事足りてしまうわけです。また、普通の仕事(セールスや事務職)で使われる数学も、大抵は(アメリカの)中学3年生レベル以下の知識で事足りてしまいます。それに対して、エンジニアという専門職を取り上げ、より高いレベルの数学がどのように実社会で使われているかを調査したのが、Gainsburgの特徴ですね。
以上のように、実践の場で使われる数学と学校の数学にはギャップがあります。このギャップから学校の数学を考えようというのが、この研究の目的ですが、じゃあ、学校の数学も現場の数学のように、複雑な問題を与えて、生徒たちが自分で試行錯誤しながら解決できるようにしたらいいじゃないか、となりがちです。しかし、それは少し飛躍しすぎです。
まず、エンジニアの職場は数学を「使う」場であり、学校は数学を「学ぶ」場であるというように、それぞれの場の持つ目的が違うというのが一点。エンジニアは既に数学を良くわかった上で仕事をしているわけです。物事には順序があります。まずは習わないことには、使えません。数学に関する豊富な知識もなく、いきなり問題の定義から始めよと言っても、それはムチャというものです。
それから、現場の数学は「オープンエンド」であるという問題があります。人によって、出てくる解答が違います。例えば、建築エンジニアの耐震設計などでは、耐震のためのしかけをどうデザインするかによって、用いられるモデルも公式も計算も変わってきます。極端な言い方をすれば、10チームあれば、10通りの解答があります。そして、どの解答が良かったのかは、実際に建てて様子を見てみないとわからない部分もあります。こういうのは、学校教育とはなかなか相容れない部分があります。学校では、みんなが同じ内容をきちんと学ばなければならないということと、学んだことの成果を、他人にわかるように評価しなければならないからです。
それから、時間の制約があります。エンジニアは、例えば、コンピュータがはじき出した数値が本当に正しいのか、本当に合理的なのかを、検算(確かめ)します。耐震は人命にかかわることなので、2,3人のエンジニアが寄って、3時間くらい検算をすることもあります。時には、コンピュータのプログラムを調べ、アルゴリズムを吟味して、検算結果と比較します。検算結果がコンピュータの数値と違うときには、検算結果を採用することもあります。このように検算にこれほどの時間をかけれるのは、プロのエンジニアだからできることで、残念ながら学校では、たった1つの検算するためだけに、そんなに時間をとることはできません。コンピュータのアルゴリズムのような、数学以外のことに関わっている時間は無駄です。生徒たちはもっと幅広く色んな数学を学ばなければならないのです。数学を学ぶという効率の点から言うと、職場の数学は効率が悪すぎるのです。
このように、現場の数学のやり方をいきなり学校に持ち込むことはできませんけれども、学校の数学が公式を覚えて解くだけになっているのも現状ですから、現場の数学の「垢」を落とした数学学習のモデルを作って、どこまで現場の数学とのギャップを埋めていけるのかが今後の学校数学の課題になりそうです。