中植正剛 神戸親和女子大学准教授 教育工学を専門にする大学教員の日々の雑感


by toshishyun

アメリカの大学と日本の大学

答えは未定

アメリカの教育と日本の教育についてのこういう比較を読むたびに、日本人としての僕は、ちょっぴりユウウツな気持ちになってしまいます。「アメリカの教育=素晴らしい・高度、日本の教育=ダメ・低度」という価値観がそれとなく伝わってくるような気がするからです。

アメリカと日本の大学教育について、僕は専門家でもなんでもありません。ただ、僕は、日本の大学で学部(文系)を卒業し、アメリカの大学で学部(理系)を卒業し、アメリカの大学院(文系)を卒業し、日本で大学教員をやっています。そして今は、アメリカの大学で客員研究員をしながら、授業を垣間見る機会がありますので、多少は日米の大学を眺めてきた経験があります。

確かに、この記事のように、アメリカの試験や課題は答えが決まっていなくて、自分たちで考えさせるタイプのものも多いですし、問題設定から始めて、論理を積み上げていくという思考力が重視されます。それに対して、確かに日本の試験は教科書の答えをなぞるタイプのものも多いです。

ただしこれは試験同士を比べるからそうなるだけであって、もっと広くカリキュラムを見れば、日本の大学教育でも、アメリカの英文エッセーのような一つの型にハマったやり方ではないかもしれませんが、答えのない問題を自分で考えるということは行われています。

日本の場合は、問題設定から結論を導きだすのために、共同でコンセンサスを得ながら暗黙知を作り出していくようなやり方がポピュラーですから、それはアメリカ流とは違うかもしれません。しかも日本人はそういうプロトコルをドキュメント化しない傾向があるので、アメリカのように「わかりやすい」思考法にのっとったやり方とは違うのだろうと思います。

ところで、なぜ日本の試験が教科書の答えをなぞるようなタイプになるのか・・・それはきっとカリキュラムの違いでしょう。

アメリカの学生は、一学期にせいぜい5科目程度しか履修しません。それに比べて日本の学生は多い時には20科目以上履修します。もしも日本の期末試験をアメリカのように問題解決型にすると、いろんな問題が生じます。 1) 日本では教員の持つ科目数が多いので、時間のかかる問題解決型は教員が採点できない 2) 5科目程度なら、それぞれの科目について広汎な知識を仕入れる時間がある。また、学期中の課題にも相当の時間をかけているはずなので、そのタメが試験で利用できる。これを20科目でやるのは難しい 3) 20もの異なる分野について、それぞれに深い理解をもってゼロから問題解決を行うのは困難。

ちなみに、アメリカでは出席はマストですが、最近は日本でもマストです。これについても、アメリカはそもそも科目数が少ないから、余裕で出席できます。朝9時から夕方5時半過ぎまで、月曜~金曜までずっと出席、祝日にも補講、なんてことはありません。

あと、アメリカの大学=厳しい、日本の大学=楽、ってことはないと思います。確かに僕が行ってた学部の授業でも、40人いた生徒が10人になって、残りが脱落したなんてこともありました。けど、あの程度の科目数の履修で脱落するのは、アメリカの大学が厳しいのではなく、ハーバードのようなアイヴィーの学生はちょっと置いといて、やはり能力不足だと思います。

アメリカの大学と日本の大学、それぞれやり方が違うわけで、思考力の育成にしても、どこに重点を置くかが異なるわけです。アメリカの場合は試験にそれが現れているということで、日本の大学でも授業や課外活動で答の決まっていない問題を取り扱ったりするわけです。また、アメリカの大学では、以前から指摘されているように、評価のインフレが起こっているので、大した思考力に裏付けられていない文章でも、B+とかAとかが貰えたりするので、そういう問題もあるわけです。

ただ、この記事が紹介されているアメリカ式の批判的思考法や、型にはまったエッセーの書き方などは大いに学ぶ必要があると思いますし、こういう、プロトコルが明確な思考の方法論が無いところは日本の教育の弱点ではあります。

 
[PR]
by toshishyun | 2009-02-16 11:16 | アメリカ文化