中植正剛 神戸親和女子大学准教授 教育工学を専門にする大学教員の日々の雑感


by toshishyun

公開授業研究会@サンホセ

"日本の学校ではあたりまえの、先生がお互いの授業を見学して授業の腕を磨いてゆく授業研究。みなさんも、小学校のときに、自分の教室に他の先生がたくさん見に来たという経験はありませんか?その歴史は大正時代にまでさかのぼることができます。アメリカでは10年前、日本から授業研究が輸入されました。"

さて、木曜日はサンホセで、ノイス財団のシリコンバレー・マス・イニシアティブによる公開授業研究会がありました。17の学区から、100名近い先生が参加され、5つの研究授業が行われました。こういう授業研究会は日本ではよくある光景かもしれませんが、アメリカでは滅多にない機会です。

僕は、小学校4年生の「面積と辺の長さ」の授業を見てきました。実は、日本の多くの人のイメージとは違って、アメリカの普通の算数の授業というのは、先生が生徒に一方的に解き方を教えるというスタイルが多いのですが、日本の授業研究を実施している先生方の授業では、日本のように、生徒が自分たちの考えを発表して、お互いに学び合いながら、算数の理解を深めていくというスタイルが試みられています。

こういう生徒中心の授業の取り組みはまだ始まったばかりなので、いろいろなところがまだぎこちないようです。アメリカの算数の授業というものがどういうものかを知ってもらいたいので、少しだけ失礼して、少し驚いたことを書きます。

先日の授業は、「同じ面積の図形でも形が違えば周囲の長さが違う」ということを理解することを目標として行われました。

ペアになった生徒には、画用紙で作った、4枚の形の異なる四角形が配られました。そのうち2枚は面積が同じですが、周囲の長さが違います。また、べつの組み合わせの2枚は周囲の長さは同じですが、面積が違います。A,B,D,Eと名前がつけられたこの4枚の図形を、面積が大きい順番に並べたり、周囲の長さが大きい順番に並べたりして、気づいたことを発表するというのがこの日の課題です。

さて、ちょっと小学生のころを思い出してほしいのですが、小学校で図形の勉強をするときには、普通、先生が黒板に図形を描いたり、あらかじめ画用紙で作った図形を黒板に貼ったりしますよね?

そして、生徒が発表するときには、前に出てきて図を指したり、自分たちのグループの描いた絵を前の黒板に貼ったりしますよね?あるいは、先生が生徒の代わりに黒板に貼られた図を指して説明しなおしてくれたりしますよね?

ところが、この授業では、一度も黒板に図が描かれたり、図が貼られたりすることはありませんでした。

ではどうするかというと、基本的に全部口頭で説明するんです。「Aの図形とBの図形の周囲の辺は一緒です。なぜならAの図形は2が2つ分で4で6が2つ分で12で・・・」などと子どもが発表します。こういう説明が次から次へと出てきます。その説明の間、生徒たちは自分の手元にくばられた図形は全然見てません。おそらく、他の生徒にきちんと発表者の意図は伝わっていません。

結局、授業の最後に生徒が書いた「今日の授業で学んだこと」という感想を読んでも、「同じ面積の図形でも形が違えば周囲の長さが違う」ということを理解した生徒は、29名中わずか数名でした。あとの子は「大きいと思っていたら実は小さい」とか、「面積と周りの長さでは順番が違う」とか「いろいろ測るのは楽しかった」というような、あいまいな理解で終わっていました。

実は、発表した生徒の中で、「面積で並び替えたときに、BとDの面積は同じだから順番はどちらでもいいけど、私ならBを先に書く。Bのほうが周囲の長さが大きいから」という、非常に核心にせまる発表をした子がいたんです。そして、その子は、発表の前に個別に作業をしているときにも、「同じ面積の図形でも形が違えば周囲の長さが違うなぁ」とハッキリ呟いていたんです。

けれど残念ながら、担当の先生は、その子の発言の意図するところに気がつかず、「みんな、BとDはどっちが先に来る?・・・どっちでもいいよね、同じだから!」と言ってしまいました。そして、クラス中が「どっちでもいい。同じ大きさだから!」とまとまってしまいました。あの子が前で図を並べたりしながら、図を指し示して丁寧に説明する機会を与えられていたら、こういうことにはならなかったでしょう。

要するに、この授業だけではないんですが、図や絵を仲立ちにして先生や生徒が対話するという、そういう授業技術が確立されてないから、お互いに意図しているところが全然伝わらないんですね。ちなみに、アメリカの算数には、線分図もありませんし、面積図もありません。

こういうところは、これから授業研究を通して改善されていくのでしょうが、やはり自分たちだけで改善をはかっていくにも限界があります。例えば、研究協議会という(授業後の討論会)でも、グループ作業のときに子どもたち同士がどうやって助けあったとか、子どもがそれぞれ違う面積の測り方をしてたとか、あの子は算数が苦手だとか、そういう議論はありましたが、子どもたちがどのようにして算数的な理解を深めていったかとか、算数的な考え方や理解をみんなで深くきちんと話し合ったかどうか、みんなが算数的な理解を共有したか、理解に至らなかった子はどこでつまづいていたか、というような議論は見られませんでした。アメリカの算数授業については、既に90年代中ごろから、「先生と生徒はなにやら話し合っているが、算数がどこにも見当たらない」と指摘されていましたが、この協議会でもそれが確認されたことになります。

やはり、すでに算数がよくわかってる先生とか、算数の授業方法がよくわかってる先生とか、授業研究のやり方をよくわかってる先生の支援が必要です。実際に、これまでにも、日本の算数の先生がこちらの授業研究で研究授業をしたりしながら、支援してきたという事例があります。日本の算数の先生が世界の算数教育に貢献できることはとても多いと思います。言葉の問題はあるにせよ、日本の小学校の先生とアメリカの小学校の先生のあいだで、算数教育についての交流がすすんでいくといいなと思います。

外部の講師が一方的に研修を行うスタイルの教員研修が多いアメリカでは、授業研究は「最も民主的で、最も高度な教員研修」として受け止められています。
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by toshishyun | 2009-02-01 15:33 | ラーニングとテクノロジー