中植正剛 神戸親和女子大学准教授 教育工学を専門にする大学教員の日々の雑感


by toshishyun

責任の所在

日本の文化で特徴的なのはなんといっても、「部下の責任をボスがかぶる」「生徒の責任を学校がかぶる」「先生の責任を校長がかぶる」ということでしょう。

いま、大学生の麻薬問題が世間を騒がしています。例えばA大学の学生が大麻をやっていたとする。そうすると、大学が記者会見なんかに出てきて「申し訳ありませんでした」と頭を下げる。アメリカの考え方では、大麻なんてのは個人の責任の範疇にはいること。なにも大学が出てきて謝ることはない。(だからと言って、大学が謝らないでもいいと言っているわけではありません。念のため)。

会社では、部下の監督責任が部下の私生活における振る舞いにまでおよぶこともある。部下にへんてこなことをされたら、上司の責任が問われるんですね。

このような文化をどう考えるか。

まぁ、上司や会社や学校が関係ない人の分まで謝るのはおかしいという考え方もあるでしょう。自分たちの責任ではないことまで組織として謝っちゃうと、できもしない責任まで抱え込んでしまうという側面もあるでしょう。

そういう問題点ばかりでなく、このような日本文化の長所に目を向けると、大麻とかそういう反社会的行為は問題外だとして、社会問題にならない範囲ならば、若手社員や生徒や学生といったまだまだ社会的に失敗をしやすい世代の若者に、「失敗はこっちで引き受けるから、失敗を恐れずに若いうちは頑張りたまえ」と組織が個人の責任をカバーしてあげる懐のひろい文化だという見方もできるでしょう。そうやって豊かな人材が育っていくのでしょう・・・組織内で責任がうやむやになっちゃう温床だともいえますが(笑)。

まぁこのように議論はつきませんが、この「個人の責任、組織の責任、上司や長の責任」というところから文化を切るととっても面白いと思います。そして、この議論をアメリカでやるとなかなか盛り上がって楽しいんですよ。

ただ、どんな文化にも根拠があり、そのような文化的な仕組みが皆を幸せにする思想や工夫があるわけですから、その文化の長所をきちんと説明することで、「日本人はおかしい」というように誤解されないようにしないといけないと思います。
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by toshishyun | 2008-12-06 07:53 | アメリカ文化