優しさとは? 日本の道徳教育資料に対するアメリカ人の反応
2008年 11月 08日
道徳教育につかう資料を翻訳していると、次のようなお話がありました。
「戦時中、ゲンタ君という男の子の家族に、飼い犬のゼロを軍に供出せよとの命令が届きました。家族同然のゼロを助けたいあまり、ゲンタ君は、ゼロにひどい扱いをしてから逃がしました。しかしゼロはおうちに戻ってきてしまいました。ゲンタ君はどうしたらいいでしょう?」
さて、これを訳した英文をチェックするために、研究所の同僚の研究者に見せたところ、どうやら「ゼロにひどい扱いをしてから逃がす」というのが腑に落ちないようです。もちろん、「犬がもう人里に戻ってこないようにというゲンタ君の優しさですよ」と説明をしたらわかってもらえたのですが、この辺がアメリカ人の感覚と違うということ。私たち日本人にとっては、ゲンタ君のやさしさはすぐにわかりますよね。
他にも、「末期がんにかかったお父さんにその事実を知らせるかどうか」というのも、アメリカ人にはそれがよく理解できないということ。本人には必ず知らせるものだというのです。これとて、もうどうしようもないのなら、少しでも明るく生きて、できることなら治ってほしいという、日本人ならわかる優しさです。
本当の優しさとはどういうものかを考えさせられるとともに、優しさにも文化が色濃く反映されるのだなぁと思います。
優しさが誤解されるのはとても悲しいことですし、優しさを優しさとしてきちんとわかりあえるようになるにも、異文化間理解が必要なのだなぁとも思いました。雑感です。