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中植正剛 神戸親和女子大学准教授 教育工学を専門にする大学教員の日々の雑感


by toshishyun

アメリカには指導案がない!

アメリカには指導案も授業研究もない!!これは驚きです。日本の学校文化の根本を支えるこれらのものがないというのはいったいどういうことなんでしょうか。今日はアメリカの数学教育について、スタンフォード大学のAki Murataさんにお話を伺いました。彼女はスタンフォード大学で日本の算数・数学における授業研究を研究されています。いろいろとお話をした中でこれはと思ったことをまとめます。

アメリカでは、日本の先生がやるような授業研究というものは存在しません。日本の先生は、お互いに研究授業を見せあったり、自分の指導案を共有したりして、当たり前のようにお互いに切磋琢磨をしますが、そういう習慣がこの国にはないのです。

この話の前提としては、次にあげるようなアメリカの教育現場の文化があります。

1) 個人主義
2) 学校の先生は用意された教材とカリキュラムをデリバリー(配達)する人
3) 教員評価

それぞれについて説明します。

1については、これは教員集団の底に横たわるアメリカという国家の文化と言えるものです。個人の自立が集団の和よりも優先されるので、各先生がばらばらの内容を授業で教えます。各州にはスタンダードという、日本の指導要領にあたるものが用意されていますが、これはあくまでも基準であって必ず守らないといけないというものではありません。結果として、先生のスタンドプレーによって、生徒の学力にも統一性がなくなります。もちろん、お互いに授業内容を共有したりという文化はここからは生まれません。研究授業をお互いに見にいったり、大部屋の職員室で机を並べて情報交換なんてことはないわけです。

2については、教員という職業そのものに対する日米の考え方の違いがあります。日本では、先生が工夫をこらして教具を開発したり、教授法を考え出したりして、指導案という形にまとめ、それを授業で実施します。つまり、先生は授業の設計者であり、教材や教具の開発者でもあり、それを実施する人でもあるわけです。ところが、アメリカでは、先生という職業は「用意された教材や教授法を実施する人」という位置づけであり、工夫をこらした教具や教材や指導法の開発は先生には期待されていません。そういう職業的な位置づけなのです。

では教具・教材の開発や授業の設計はだれがやるのかというと、教科書会社や非営利のカリキュラム開発団体といった、専門の業者がやるわけです。先生は、教科書会社が用意したマニュアルに沿って授業を進めます。日本の先生が聞いたらひっくりかえりそうですね。というわけで、授業の設計を記した指導案なるものが存在しないのです。

もちろん、アメリカでも、意欲のある先生は自分で教え方や教具に創意工夫をこらします。僕自身、優秀な先生のそういう授業を見学して感銘したこともあります。ただ、そういう先生が必要とするインフラが整っていないわけです。参考になるような他の先生の指導案などありませんし、授業研究もないわけですから他の先生の授業も参考にできません。日本にもアメリカにも個人として優秀な先生はたくさんいますが、先生が個人でできることには限りがあります。アメリカの先生は、いくらやる気があっても日本ほど教える力がつかないのです。

3については、日本でも大学などでは実施されていますが、教員や校長が評価の対象になるため、自分の失敗を共有してお互いに支えあうという文化がないのです。どうしても評価が入ってくると「共有する文化」から「隠す文化」になってしまうのですね。いくらアメリカとはいえ、評価がすぐにクビにつながったりすることはないですし、多くの教育学区で給与は年功序列ですから、評価が給与につながることは少ないはずですが、それでもやはり「隠す文化」になってしまうのですね。

このような文化的状況を背景として、多くのアメリカの先生は、教科書に載っていることをただただそのまま伝えるだけという授業をしているわけです。もちろんアメリカの先生も生徒を伸ばしたいという思いは日本の先生と同じです。しかし、どのように教えたらいいのかわからないし、特に数学・算数のような科目の場合は、自分自身も生徒としていい授業を受けてこなかった経験がある分、教えるモチベーションもあまり高くないようです。

大学で教育研究に関わる研究者の間では、日本の授業研究の文化は知れ渡っており、多大な称賛が寄せられています。ただ、現場の先生はそういうことは知らないですし、彼らに授業研究をいきわたらせることは、上記の文化的理由でなかなか難しいようです。

僕はヨーロッパの教育なんかは全然知らないのですが、アメリカと比較して見えてくるのは、日本の教育がいかに優れているかです。日本の先生はとっても優秀ですし、こちらの先生と比べてもよく働きます。例えば、カリフォルニアでは先生は家庭訪問をしません(移動の問題とかもあるでしょうが)。古くから積み上げてきた創意工夫を惜しまない授業研究文化によって、日本の子供たちは、格安の授業料で非常に質のいい教育を受けています。

日本のマスメディアでは、日本の教育の問題ばかりにスポットライトをあてて、あたかも日本の教育が崩壊しているかの印象を与えています。その結果として、アメリカで大失敗している評価結果の公開やバウチャー制度やチャータースクール制度の導入が検討されたりしています。インターネットなんかでも、教師に対する評判は、休みもたくさんあって楽だし、自分の思いのままにできるから社会性がないなどと、偏見も交じってさんざんだったりします。日本の社会での、学校に対する評価は厳しすぎるようです。

しかし、そうではないということを、アメリカの教育現場との比較を通じて伝えていけたら、と思っています。私たちにとって、一時的な感情論ではなく、メディアや偏見のフィルターを外した客観的な姿で日本の教育をとらえることが、次の世代の教育をより良いものにすると思うからです。
by toshishyun | 2008-11-07 05:54 | ラーニングとテクノロジー