中植正剛 神戸親和女子大学准教授 教育工学を専門にする大学教員の日々の雑感


by toshishyun

アメリカ人と政治 propに思う

テレビを見ていると、Vote Yes for Prop 8(Prop 8に賛成票を!の意味) とか、Vote No for Prop 8(その逆)などというコマーシャルをよく見かける。路上を走る車にもそういうメッセージのステッカーが貼ってあったり、家の軒先にもそういう立て札を見かける。Prop 8ってなんだろうと思いきや、同じようにProp 2というコマーシャルがあったり、Prop7, Prop 10というのがあったりする。どうやら政治的なメッセージらしい。

アメリカはとても自己主張の強い人が多いから、自分の政治的なスタンスをステッカーに貼ったり、家の軒先にプラカードを立てたりする。もう来月には大統領選挙が迫っているが、OBAMA '08とか、McCain & Parin '08などというステッカーやプラカードもしばしば見かける。

さて、Prop 8というのはなんだろうと、よくラジオに耳を傾けてみると、これは「ゲイの結婚を禁止」するためにカリフォルニアの州法を「結婚は男女間のみに限る」ように変更する提案である。Propとはpropositionの略で、州法を変えるために住民投票を必要とする提案のことである。

つまり、Vote Yes for Prop 8とは「結婚は男女に限るという法案に賛成を!」ということで、Vote No for Prop 8とは「そんな法案には反対しよう!」ということなのである。

コマーシャルでは、お互いの主張が展開される。No派は「我々の生活に政府を介入させないで。カリフォルニア州ではみな平等だ。結婚はみんなのものだ。」といい、Yes派は「あなたの子供にゲイのことをどう説明しますか?ゲイの結婚に反対しただけで裁判にかけられますよ。」などと言って伝統的価値観や人権の抑圧を彼らなりに強調する。Yes派はさらに、かつてゲイの結婚を承認して全米中の注目を浴びたサンフランシスコ市長ニューソムの「あなた方がそれを好きかどうかなんて関係ない(=好き嫌いは別にして権利を認めよ)」と声高に叫ぶ主張を繰り返し放送して、ゲイの結婚の容認派の横暴を強調する。

もちろん、Yes派のバックには教会がついている。(アメリカ文化とキリスト教原理主義は切ってもきれないもので、いまだに何千万というアメリカ人が、世界は神によって6日間で作られ、我々人間は神によって作られたということを心から信じている。進化論を信じているのはたったの35%で、先進国中最低レベルである。ちなみに副大統領候補のパリンは猛烈なキリスト教原理主義者である。アメリカでは、キリスト教で禁止している人工妊娠中絶を行っている医師が殺されたり、医院が爆破されたりすることもままある。アメリカのキリスト教についてはまたの機会に書きたい)。

ちなみに、No派のコマーシャルはこんな感じだ。

http://technorati.com/videos/youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DUtUlJel4RR8

Prop 8のNo派にはブラッドピットが10万ドル(約1000万円)を支援したりして、この11月に最も注目される住民投票である。

こんな風に、大統領選挙がらみのコマーシャルに加えて、毎日毎日、他の政治的主張がラジオやテレビで流れる。Prop 2とは動物実験を禁止するという法案であり、Prop 7は2025年までに電力を風力などの新しい発電に切り替えるというものである。Prop 10は天然ガスで走る自動車を購入する消費者への補助金や、天然ガスの車の研究開発に50億ドル(5000億円)をかけようというものである。

これらのPropはいろんな裏があって提案される。もちろんProp 10はテキサスの石油王の力が働いている。多くは利害関係がからむ資本家の多額の政治献金や寄付によって提案される。

日本人にとっては、ゲイやエネルギー問題や動物虐待問題を左右する重要な法律改正に直接住民が参加するということは新鮮である。こう毎日コマーシャルが流れていれば、別に興味がなくてもそれなりに詳しくなってしまうし、住民による意思決定は、さまざまな社会問題を「自分のもの」として自然と捉える態度ができていいなと思う。しかしその反面、住民を取り込むためのイヤらしい金が飛び交う様子もなんとなくに匂ってくる。このあたりが、社会問題に対する日本人とアメリカ人の感覚の違いの原点なんだと痛感する。

ちなみに、アメリカの教育では、州や市などのカリキュラムにおける教育の目的について「政治に参加できる民主的な教養を持つ人材の育成」というような文言が必ず織り込まれる。このような字句は、日本人的には「はいはい能書き能書き」と思ってしまうし、実際僕も最近まで単なる美辞麗句だと思っていた。

ところが、今回客員研究員という、ある程度精神的に余裕のある身分でこちらに来て、テレビやラジオなんかで政治や文化に目を向ける余裕が出てくると、必ずしもアメリカのそういう教育目標が能書きではないことがよくわかる。

日本の選挙はほぼ完全に間接民主主義で、住民投票なんてまぁ一生に一回あるかないかだから、政策ではなく「人」を選ぶことになってしまいがちである。おのずと政策に与える自分の影響力は実感できないし、我々が社会問題に疎くなるのも仕方がない。しかも、どの政治家が何を言ってるかなんて、市民活動家でもない限りいちいち細かくはチェックしていられないのも実情であるから、なおさら政策について判断をしている実感は、我々有権者には少なくなる。

反面、アメリカでは、州の財政や自分たちの生活に直結する政策を選択する機会が頻繁にやってくる。あれこれと主張するコマーシャルを冷静に読み解き、問題の本質を見つめながら自分の政治的スタンスを決めるという、メディアリテラシー的な素養も必要になる。

アメリカ人の社会問題に対する意識が高いから、こういうPropのような制度があるのか、それともこういう制度があるから意識が高いのか、それについて考えても意味はないだろうが、まぁこういう国だ。

別にアメリカが何でもかんでもいいとは思わないし、基本的に僕はアメリカというのは滅茶苦茶な社会だと思ってる。(そのハチャメチャぶりをぜひここに面白おかしく書きたい!)。でも、Propみたいなのを見ていると、日本の地方自治体なんかでも、住民の直接投票で決めてもいいことがもっとたくさんあるはずだ、とは思う。
[PR]
by toshishyun | 2008-10-18 16:15 | アメリカ文化