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中植正剛 神戸親和女子大学准教授 教育工学を専門にする大学教員の日々の雑感


by toshishyun

昨今の小中学校におけるICT活用に関する一考察

文部科学省発行の「教育の情報化の手引き」によると、小学校におけるICTを活用した指導は「児童によるICTの活用」と「教師によるICTの活用」の二つのアプローチがあるとされている。

教師によるICTの活用で近年盛んなのが、実物投影機を利用して資料やお手本や児童のノートを提示したり、プロジェクターを用いて教師が撮影した教材の写真を提示するという「気軽な」活用方法である。児童によるICTの活用では、発表の際にOHCやパワーポイントを用いたり、調べ学習でデジタルカメラを用いて発表用の資料を製作したり、図工や社会の授業でチラシを創ったりという活用方法を目にすることが多い。私は大いにこういう活用はしてゆけばよいと思う。

しかし、気になるのは、「気軽なICT活用」のかけ声が大きくなることによって、ICTが単なる伝達と記録の道具になっていやしないかということである。というのも、最も気軽なICTの活用方法とは、何かをちょこっと伝達するという使い方だからである。そのような形での活用を否定するわけではないが、やはりICTを思考の道具として活用するという方向をもっと模索してもよいのではないかと思う。

少し話が変わるが、小学校における昨今のノート指導で重視されるノートの機能とは次のようなものである。
1. 思考の作業台
2. 思考の交流のための装置
3. 振り返りのためのポートフォリオ

ノートとは、問題解決学習において、自分なりの見通しを持ちながら思考をすすめるための道具であり、自分の考え方をモニタリングしながらそのよさを自覚するための道具であり、他者に自分の考えを工夫して伝えようとする意欲を高める道具であり、他者の考え方との共通点や差異を自覚するための道具であり、そして、自らの思考の道筋を反省的に振り返るための道具でもある。このようなノートの活用方法の基盤にあるのは、他者と互恵的・協同的に学びあう、学びの共同体という考え方である。旧来の、記録する道具、練習問題を行うための練習をする道具という位置づけを超えて、思考と協同の道具としてノートは位置づけを変えてきた。

ICT、つまりコンピュータを学習のための道具として捉えるならば、ノートが思考の道具として位置づけなおされたように、やはり思考のための道具、協同のための道具として用いるというスタンスを忘れてはならないだろう。そのためには、学習の内容や結果を記述する道具という観点だけからICTを捉えるのではなく、学習の方法やプロセスを記述する道具としてICTを捉え、授業設計に工夫を凝らしていくことが重要になる。これは、新学習指導要領総則第3章の第5節「教育課程実施上の配慮事項」に示された、1. 問題解決を通じた学習、2.言語環境と言語活動の充実、3. 見通しと振り返りのある学習 4. 教師による評価と指導の4点に強く関連している。

もともと、インターネットやPCは協同思考の道具としての位置づけがあるわけだし、国内の一部の学校や海外の学校におけるCSCLの実践と研究の蓄積はあるわけだから、すでに枠組みはある。また、新学習指導要領で定める学力や評価基準も、90年代後半に教育の情報化が始まったころと比べて、思考の作業台・交流の装置・振り返りのポートフォリオとしてICTを活用するスタンスとの親和性が高まっており、そのような使い方が不易となるための法的基盤はずいぶんと整備された。

ただし、記録と伝達に偏りがちな「気軽なICT活用」が旧来の授業方法の中で語られているのとは対照的に、黒板を媒介として集団的に思考を練り上げるという学習スタイルに特徴がある日本の教室文化の中で集団思考の道具としてICTを活用してゆくためには、旧来の授業方法に固執していてはできないことも多い。しかし、知識基盤社会における教育の望ましい姿を考えるにつけ、旧来の学級集団を軸に据えた指導方法のよさを発展継承するかたちで、授業文化そのものを変革させてゆくような改善も必要なのではないだろうか。海外の授業と比較すると、黒板文化を中心とした日本の教育はとても質が高いのは確かではあるし、そこにはまり込んでしまっては進歩の道が閉ざされる。もちろん、ICTを使って集団思考をするような授業は、最初は見劣りのするものだろうし、奇をてらったものとして映るかもしれないし、研究授業などで批判の餌食になる可能性は十分にある。しかし、それが変革の痛みというものなのだろうし、そういう痛みを共有できる教師集団であれば、それはすばらしいことだと思う。

ここで述べたようなことは、90年代後半からずっと言われ続けられたことかもしれない。しかし、人は忘れやすい生き物である。「手軽なICT活用」が広がりを見せるいまこそ、もう一度教育の情報化の本質を押さえた議論をしていかなければならないと思う。片手で気軽なICT活用についての事例を蓄積してゆきつつ、もう片方の手で思考と協同の道具としてのICT活用を探求していく、というのが現在われわれに課せられた仕事であると感じる。
by toshishyun | 2010-06-13 22:39 | ラーニングとテクノロジー