中植正剛 神戸親和女子大学准教授 教育工学を専門にする大学教員の日々の雑感


by toshishyun

末は博士がホームレス

来週、スタンフォードの博士課程で勉強中の友人が35歳のお誕生日を迎えます。この人は、高校の先生を辞めて入学してきました。博士号を取ることには、40歳近くになってます。30代で博士課程に入ってくる人、結構多いです。35歳とか40歳になって大学を卒業した場合、その後、どうなるのでしょうか。

教育学の博士号を取った人たちの卒業後の進路ですが、大学教員以外に、非営利団体の研究員や、企業附属の研究所の研究員や、各学区の教育委員会の研究者になる道があります。非営利団体は、各種財団などから資金を得ており、きちんとした給与も出ます。それも、日本のように安い給与ではなく、ディレクターレベルになると年収1000万円を超える場合も普通にあります。厳しくはありますが、それなりに就職口もあります。研究職はいろいろなところで用意されており、Ph.D.という肩書きがモノを言うのです。(もちろん、しばらく就職ができない人もいますけど、そういう人は奥さんとか旦那さんが稼いでくれる場合も多いです)。

日本の場合はどうでしょうか。ストレートで博士課程に行っても、何十倍という難関を通り超えて大学教員にならなければ、就職はほとんど無理と言われています。しかも、運よく正規の教員になれるのは稀で、いまやほとんど3年や5年の任期があります。ましてや、20代後半を過ぎて仕事を辞めて博士課程に行くとなると、これはよほどの実力と人脈が無い限りは、自殺行為です。

日本で博士号を取った人の行く末はどんなものなのでしょうか?このあたり、博士が100人いる村というお話が有名です。

ちなみに僕は、スタンフォードで修士号をとったときに、あと5年頑張って博士号まで行ってしまおうと思っていましたが、日本で働く可能性があることを考えるとあまりにもリスクが高く、とりあえず就職しようと帰国しました。正解だったと思っています。

なんでこういうことになるのか、僕にはわからないことが多すぎます。

ただ、教育学に限って言えば、日米の教育制度の違いが一つの要因になっているのではないかと思います。

ご存じのように、日本には学習指導要領があるので、全国一律で教えることが決まっており、検定に通った数種類の中から教科書を選択します。教科書会社の指導書などもそこそこ使い物になります。そのため、現場の先生は何を教えるかについて考える必要があまりなく、既に決まった内容をどうやって教えればよいかを考えることに注力できます。そして、授業研究などを通じて、教え方をお互いに磨いていくことで、良い授業方法を作り出してゆくことができます。教育委員会の研修なんかでも、指導主事なんかは教員経験者ですし、基本的に学習指導要領に基づいて、現場の実態に沿った形で研修をします。

しかし、アメリカには学習指導要領なんてものはないですから、何を教えるべきかというところから、現場の先生は考えなければなりません。学校によってばらばらの内容、ばらばらの指導方法・・・。さらに、教育委員会の関係者は教員経験者ばかりではありませんから、教育行政についてはプロでも、教育については素人です。校長ですら、一度も授業を教えたことのない人がなったりしています。こういう状況では、何を教えるべきか、どのように教えるべきかを考えるのは、とても現場の先生や教育委員会の手に負えるものではありません。さらに、アメリカは多民族国家で、いろんな文化背景を持った人々がいますから、皆に対して同じ内容、同じ教え方でいくわけにもいかないという事情もありますから、事態はさらにややこしいのです。

そこで、教科書会社や教材会社や非営利団体はここぞとばかりに、自分たちの教科書や教材や教育方法や研修を売り込みます。先生の負担がなるべく少なくなるように、分厚い指導書もきっちり用意します。ここに、博士号を持った研究者の活躍する余地があります。教科書会社で教材開発に関わったり、教育委員会や学校の委託を受けて学力測定をしたり研修を実施したりします。日本のように、一種類の指導要領と数種類の教科書しかない場合と違って、教育産業のパイは大きいのです。
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by toshishyun | 2009-04-30 12:59 | アメリカ文化